施設名 | 阿麻美許曽神社 地図 |
所在地 | 東住吉区矢田7-6 |
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詳細情報 | 大和川の南に位置し市域南端にあたります。大同年間(806年〜809年)の創建との説があるが不詳です。境内地は広く、大樹が多く残っています。かって行基がこの地に住み、住民に便宜を与えたと伝えられています。 |
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施設名 | 桑津天神社 地図 |
所在地 | 東住吉区桑津3-4 |
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詳細情報 | 「日本書記」によると応神天皇(4世紀)の頃、日向の国から美女の誉高い、髪長媛(かみながひめ)を召され、後に仁徳天皇の妃となり、桑津の地に住みました。媛が病にかかり、その全快を祈って少彦名命(すくなひこなのみこと)を勧請したのが桑津天神のおこりといわれていま・ |
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施設名 | 法楽寺 地図 |
所在地 | 東住吉区山坂1-18 |
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詳細情報 | 昔から「たなべのお不動さん」の名で親しまれ、治承2年(1178年)、平重盛が創建し、仏舎利を納めたと伝えられています。樹齢約800年といわれるくすの木や重要文化財にも指定されている絹本著色不動明王二童子像(けんぽんちゃくしょくふどうみょうおうにどうじぞう)などが有 |
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施設名 | 常栄寺 地図 |
所在地 | 東住吉区住道矢田4-5 |
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詳細情報 | 常栄寺には、すむじの塔の中心を支える礎石で、「須牟地寺塔心礎」があります。「中臣須牟地神社旧記」によれば、寺は藤原不比等(659年〜720年)の建立です。心礎は直径67cmの円形柱座、その中央には直径16cmの舎利孔をもち、心礎柱座から塔の高さは約28mと類推されます。・ |
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施設名 | 枯木八幡宮 地図 |
所在地 | 東住吉区公園南矢田4-5 |
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詳細情報 | 旧枯木村の昔ながらのまちなみの中、「こんなところに」と驚くくらい、さりげなく枯木八幡宮はあります。 境内の土を屋根土に混ぜておくと雷が絶対に落ちないという言い伝えがあります。 |
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施設名 | 榎神社 地図 |
所在地 | 東住吉区北田辺1-8 |
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詳細情報 | 現在地に樹齢800有余年を数える榎の大木があり、この地の人々がこの樹木をご神体として社殿をつくり、年々参拝者も増加したので、昭和27年4月宗教法人となり、翌28年に拝殿社務所を新設しました。この神社は行基菩薩に由来のある桑津墓地境内にあります。また、境内は小高く |
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施設名 | 山阪神社 地図 |
所在地 | 東住吉区山坂2-19 |
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詳細情報 | この地には、田辺東神・田辺西神という氏神が二社存在して、東神が今の中井神社で、西神がこの山阪神社だといわれています。大昔この周辺はわが国に移住してきた田辺史(たなべのふひと)が住んでいたとされます。歴史の重みを感じさせるものの、神社の境内では、こどもたち |
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施設名 | 中井神社 地図 |
所在地 | 東住吉区針中野2-3 |
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詳細情報 | 中井神社は、田辺東神と伝承されており、古来、安産の神様とされ、明治維新まで牛頭(ごず)天王社と称されました。境内には樹齢1000年をこえる榎の大樹があり、昔から世に異変のあるときは必ず夜間にごう音がすると言い伝えられていました。惜しくも昭和9年の台風で折られ・ |
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施設名 | 中臣須牟地神社 地図 |
所在地 | 東住吉区住道矢田2-9 |
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詳細情報 | 中臣氏の祖先であり神武天皇に仕えた一族子孫が在住した由緒ある神社です。それほど広くはないのですが、静かで心のなごむ神社です。太古のロマンが伝わってくるようです。 |
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施設名 | 阿部野神社 地図 |
所在地 | 阿倍野区北畠3-7-20 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 阿倍王子神社 地図 |
所在地 | 阿倍野区阿倍野元町9-4 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 海照山正圓寺 地図 |
所在地 | 阿倍野区松虫通3-2 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 安倍晴明神社 地図 |
所在地 | 阿倍野区阿倍野元町5-16 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 高砂神社 地図 |
所在地 | 住之江区北島3-14-12 |
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詳細情報 | 元文2年(1737年)、北島新田開墾に際して加賀屋甚兵衛により創建された。新田開発者は例外なく鎮守の神社を建てたもので甚兵衛は出身地である河内国石川郡喜志村(富田林市)の産土神、水分神(みくまりのかみ)を勧請した。 |
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施設名 | 高崎神社 地図 |
所在地 | 住之江区南加賀屋4-15-3 |
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詳細情報 | 宝暦5年(1755年)加賀屋甚兵衛が産土神の水分神を勧請して大和川河口に祭り天保8年(1837年)現在地に移築して同時に天照大神、柿本人丸を合祭したという。 |
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施設名 | 大阪護国神社 地図 |
所在地 | 住之江区南加賀屋1-1-77 |
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詳細情報 | 昭和15年5月、仁徳天皇と明治時代以降の大阪府出身の戦没者を祭神として創建された。明治33年以来続けていた遺族らの悲願が、日中戦争に際し実ったもので、神社の築造には、のべ36万人が勤労奉仕にかけつけた。有志が桜樹献木会を組織して桜・桐約千本を植えるなど約2万平方 |
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施設名 | 極楽寺 地図 |
所在地 | 住吉区遠里小野5丁目 |
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詳細情報 | 創建年は不祥です。本尊毘沙門天はここから南に広がっていた榎津庄(奈良〜平安期に見られる郷)にあった寺のものと伝えられています。境内には大きな一基の毘沙門天石灯籠があります。表面の磨滅は甚だしいが、建武3年(1336)丙子3月の銘があり、重要文化財に指定されています |
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施設名 | あびこ観音 地図 |
所在地 | 住吉区我孫子4丁目 |
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詳細情報 | 正式には「吾彦山」、寺号を「大聖観音寺」と称し、日本最古の観音信仰道場・厄除けの寺として有名です。昔、この地に住んでいた依羅吾彦という勢力のある一族が、百済の聖明王から身の丈約5cmの小さな観音像を贈られました。人々は御堂を建てて信心しましたが、今から約140 |
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施設名 | 大依羅神社 地図 |
所在地 | 住吉区庭井2丁目 |
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詳細情報 | 祭神は、依羅吾彦の祖先である建豊波豆羅和気王を主神として合祀されています。依羅吾彦は、14代仲哀天皇に従って「熊襲征伐」に出かけたこともあり、この地に住んで豪族となりました。日本書紀によると、当神社は広大で、依羅氏が代々神主となっていましたが、南北朝の戦乱 |
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施設名 | 若松神社 地図 |
所在地 | 住吉区沢之町1丁目 |
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詳細情報 | 素盞鳴命・稲田姫命を主神とする式内社ですが、創建は不詳です。通称、若松神社とあるのは承久3年(1221)後鳥羽上皇が熊野詣をされた際、当神社境内の若松の林の中に御所を作り、その行宮を若松御所と称したことに由来します。 |
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施設名 | 浅沢神社 地図 |
所在地 | 住吉区上住吉2丁目 |
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詳細情報 | 住吉大社の境外末社で、市杵島姫命が祭られています。細江川北岸のこの付近は古くから浅沢小野と呼ばれ、池沼も多く「かきつぱた」の名所でもありました。その様子は「万葉集」にも詠まれておリ、平成9年に「かきつばた園」が復活されました。 |
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施設名 | 生根神社 地図 |
所在地 | 住吉区住吉2丁目 |
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詳細情報 | 祭神は少彦名命で、江戸時代は住吉大社の摂社であったが、明治5年分離されて郷社となりました。本殿は淀君が寄進し、片桐且元の手で竣工されたといわれています。桧皮葺・壱間社流造りの建物で、正面千鳥破風や扉の装飾などに、桃山時代の華麗な様式を残しています。「住吉・ |
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施設名 | 住吉大社 地図 |
所在地 | 住吉区住吉2丁目 |
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詳細情報 | 航海の神・祓の神・歌の神として古くから崇敬されている大社で、本殿4棟は桧皮葺・切妻造り妻入りの「住吉造り」と称されています。現存のものは文化7年(1810)に造営されたもので特色ある神社建築により国宝に指定されています。境内には石灯ろうが600余基ありますが、これ・ |
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施設名 | 荘厳浄土寺 地図 |
所在地 | 住吉区帝塚山東5丁目 |
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詳細情報 | 創建は、天慶年間の頃(930〜946)と推定され、本尊は不動明王です。応徳元年(1084)白河天皇の勅により再建された時、「七宝荘厳極楽浄土‥」の銘がある金札が土中から発見され、それを寺号としました。四天王寺とならぶ壮麗な寺院であったが、戦火などにあって、現在の堂は、 |
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施設名 | 神須牟地神社 地図 |
所在地 | 住吉区長居西4丁目 |
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詳細情報 | 江戸時代の村の産土神祭神は神産霊神・天日鷲命・小名彦命で、江戸時代は「三の宮」と称され、村の産土神でした。創建年代は不詳。社殿は慶弔年間兵火にかかりましたが、元和4年(1618年)再建されたと言われています。戦火により神社には記録は一切残っていません。本 |
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施設名 | 保利神社・新堀城跡 地図 |
所在地 | 住吉区長居東1丁目 |
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詳細情報 | この付近は旧堀村で、昭和15、16年頃まで村を囲む堀が残っていました。城は戦国時代に築かれ保利神社は、築城のとき守護神として創建されたと言われています。 祭神は素盞鳴命。大巳貴命。はじめは牛頭天皇社と称していましたが明治40年前堀村の吉山 |
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施設名 | 加賀屋天満宮 地図 |
所在地 | 住之江区北加賀屋5-2-4 |
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詳細情報 | 祭神は菅原道真。天王寺村天下茶屋の柴谷利兵衛と在地の住人が新田開発の際、鎮守のため勧請したものといわれる。一時廃絶していたが、昭和26年6月、境内2409平方メートルに本殿、拝殿、社務所が再建された。 |
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施設名 | 津守神社 地図 |
所在地 | 西成区津守3-4 |
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詳細情報 | 津守新田開発の時に勧請された。初めは五所神社、五社大明神といわれ、元禄時代には単に稲荷神社と呼ばれたが、明治4年津守神社と改称し、同5年村社に列した。 |
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施設名 | 天満宮 地図 |
所在地 | 西成区岸里東2-3 |
TEL | |
詳細情報 | 室町時代末期の茶匠・武野紹鴎が当地の森林に湧く泉水を愛し、歳月を送った所である。 社は北野天満宮の分霊を勧請し、菅原道真公をまつり、子安天満宮ともいわれる。これは社殿東側に子安石と称す霊石があり、安産のご利益があるとして参拝者でにぎ・ |
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施設名 | 安養寺 地図 |
所在地 | 西成区岸里東1-7-15 |
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詳細情報 | 昌芳山安養寺は、浄土宗知恩院派一心寺の末寺で、本尊は阿弥陀仏、元禄2年(1689)3月貞誉清薫尼の創建。明治20年の失火と昭和20年の戦災で2度焼失し、現在の寺は昭和34年再建のものである。境内には、紙治おさん、猪名川、佐藤魚丸の墓がある。 |
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施設名 | 正円寺 地図 |
所在地 | 西成区聖天下2 |
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詳細情報 | 西成区と阿倍野区の境界線のところに天下茶屋の聖天さんの別称で知られる正円寺がある。天慶2年(939年)光道和尚の開基で、もとは東方の阿倍野村にあったが元禄年間(1688〜1704年)に義道見明和尚が現地に諸堂を移転して再建、海を望見できる地形から海照山正 |
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施設名 | 敷津松之宮西成社 地図 |
所在地 | 西成区松2-3 |
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詳細情報 | 浪速区にある敷津松之宮神社の御旅所である。同神社の由緒略記によれば、神功皇后が武内宿彌(たけのうちのすくね)を従え敷津浜を航行中、松の木3本を植えて航行の安全を祈願したのが起源で、はじめは松本の宮といい、明治維新の頃は八坂神社と称した。 |
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施設名 | 成恩寺 地図 |
所在地 | 生野区林寺3-10 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 敬正寺 地図 |
所在地 | 平野区瓜破東5-5-10 |
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詳細情報 | 大化年間(645〜649年)道昭法師により創建された永楽寺の遺跡といわれ、永楽寺の本尊五智如来(五輪仏)のうち2体の石像が安置されている。右側の大きい方が大日如来で、左側が阿弥陀如来である。豊かな頬をして落ち着いた像容から、制作年代は平安後期までさかのぼるものと推・ |
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施設名 | 川辺八幡神社 地図 |
所在地 | 平野区長吉川辺1-4-38 |
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詳細情報 | 創建の年月不詳であるが、石清水八幡宮の分霊を勧請したものと伝わる。往時は、社殿も壮大で社領も広く、いまの境外地字垣添の全部を包容し、社領も4町歩以上におよんだが、1704年の大和川付け替え工事よって立ち退きを余儀なくされ、社領地の大部分がその川床となった。明・ |
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施設名 | 瓜破天神社 地図 |
所在地 | 平野区瓜破5-4-19 |
TEL | |
詳細情報 | 僧道昭がこの地で修行中天神の霊像が出現した。そこで瓜を割って供えたが、この伝承が瓜破という地名の起源のひとつといわれている。道昭は、当地の出身と伝えられ白雉4年(653年)遣唐使に従って入唐し、玄弉三蔵の教えを受け、帰国後諸国を遍歴して庶民に慕われたことが、続 |
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施設名 | 成本天神社 地図 |
所在地 | 平野区瓜破東2-7 |
TEL | |
詳細情報 | 成本天神社は、創建は明らかではないが、孝徳天皇の大化年中(645年〜649年)天神の尊像が現れ、社殿を造営して霊像を祀ったものが天神社の起源と伝えられる。元来成本の村社であったが、明治40年9月瓜破天神社に合祀された。その後、昭和61年本殿が再建され、同年11月3日遷宮 |
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施設名 | 八坂神社 地図 |
所在地 | 平野区喜連東2-1-21 |
TEL | |
詳細情報 | 東喜連村の氏神で素盞鳴尊を祀り、八坂神社と称していたが、嘉永年間に忍坂大中姫命(允恭天皇の皇后)を祀る媛天神を合祀して東西神社となった。改称は、合祀により氏子が東西喜連村にまたがることになったので、東西の二字をとった。明治42年12月、天神・東西・春日の三社は |
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施設名 | 如願寺 地図 |
所在地 | 平野区喜連6-1-38 |
TEL | |
詳細情報 | 崇峻天皇元年(588年)聖徳太子の創建として、もと喜連寺といわれた。阿弥陀寺・弥勒寺など四方に荘厳な諸堂が建てられた大伽藍であったがその後、弘法大師により再建、如願寺と改められた。本尊聖観世音菩薩は平安時代の作で、大阪府有形文化財に指定されており、摂津国三十・ |
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施設名 | 楯原神社 地図 |
所在地 | 平野区喜連6-1-38 |
TEL | |
詳細情報 | 神社の歴史はきわめて古く、崇神天皇の頃初めて祀られたといわれる延喜式内の古社であり、祭神は武甕槌大神と大国主大神である。また、神武天皇が国内平定に用いられた十握の劒を祀ったと社伝にある。もと、字楯原(現在の喜連西1)にあったが、兵火にあい現在の地に移った。 |
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施設名 | 志紀長吉神社 地図 |
所在地 | 平野区長吉長原2-8-23 |
TEL | |
詳細情報 | 延喜式内の神社で祭神は長江襲津彦命、事代主命の二座である。明治5年に旧郷社に列せられたころは、旧長吉、瓜破、恵我、大正、藤井寺の各村の総氏神であったが、現在は長吉一円の氏神である。大坂夏の陣のとき、豊臣方の武将真田幸村がこの神社に刀剣と軍旗を奉納して戦勝・ |
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施設名 | 赤坂神社 地図 |
所在地 | 平野区長吉六反1-14-24 |
TEL | |
詳細情報 | この地は、もと丹北郡赤坂村と呼ばれたが、元弘元年(1331年)金剛山麓の「千早赤坂」を拠点に楠木正成が鎌倉幕府に対して反旗をあげたので、同名の「赤坂村」の名では混同されて幕府軍から攻撃される恐れがあり、赤の字から縦の線を、坂の字から土を取り「六反」になったと伝 |
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施設名 | 産土神社 地図 |
所在地 | 平野区長吉出戸6-10-14 |
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詳細情報 | 創建は明らかではないが、もと牛頭天皇社と称し素盞鳴尊を祀った。明治5年に産土神社と改称し村社となった。旧社殿の棟札(屋根裏の柱に取り付け後世に記録を残す板札)に天保七年上棟の記述があったが、現在の社殿は昭和61年に建替えられたものである。 |
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施設名 | 天照皇大神社 地図 |
所在地 | 平野区長吉出戸4-4-36 |
TEL | |
詳細情報 | 創建は明らかでなく、天照皇大神、春日大神、八幡大神の三座を祀っていたが、明治5年産土神社に合祀された。明治13年7月に分離し、村社となった。 |
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施設名 | 赤留比売命神社 地図 |
所在地 | 平野区平野東2-11 平野公園隣 |
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詳細情報 | 新羅より渡来の女神、赤留比売命を祀る。俗称の三十歩神社は、応永年間(1394〜1428年)干ばつのとき、法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったので、三十部神社がなまったものという。また一説では祭神が「三十町歩」の土地を三十歩と聞きまちがえたためとも伝え、 |
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施設名 | 全興寺 地図 |
所在地 | 平野区平野本町4-12-21 |
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詳細情報 | 平野がまだ広々とした野であったころ、ここに薬師堂が建てられ、そこを中心に人が住みはじめ、平野の町がしだいに広がっていったといわれる。本尊は薬師如来で、聖徳太子の作と伝えられている。 |
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施設名 | 長宝寺 地図 |
所在地 | 平野区平野本町3-4-23 |
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詳細情報 | 桓武天皇の妃であった坂上春子姫が、平安時代初めの大同年間(806〜810年)に出家して開いた高野山真言宗の寺院であり、坂上家の氏寺でもあります。境内の銅鐘は鎌倉時代の代表的な作で重要文化財に指定されています。 |
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施設名 | 大念佛寺 地図 |
所在地 | 平野区平野上町1-7-26 |
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詳細情報 | 融通念仏宗の総本山で、大治2年(1127年)聖応大師(良忍上人)が建立したものである。当寺には国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勘進帳」等があり、総本山特別行事として1・5・9月のそれぞれ16日に百万遍会(大数珠くり)、5月1日〜5日の阿弥陀経万部会(万部おねり)は・ |
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施設名 | 菅原神社 地図 |
所在地 | 平野区加美鞍作1-5-17 |
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詳細情報 | もと天児屋根尊を祀り橘宮と称したが、のちに天神社と称して、菅原道真公を祀る。創建の年月は明らかではないが、鬼門除けの神として信仰を集め、境内の砂を持ち帰る風習があった。明治5年村社となり、さらに40年10月南鞍作村の無格社天照皇大神社、41年10月鞍作、新家村の・ |
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施設名 | 杭全神社 地図 |
所在地 | 平野区平野宮町2-1-67 |
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詳細情報 | 平安時代の初め貞観4年(862年)に坂上廣野麿の子当道が、素盞鳴尊を氏神として祀ったのが始まりといわれ、平野郷一円の守護神として信仰をあつめた。 |
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施設名 | 旭神社 地図 |
所在地 | 平野区加美正覚寺1-17-30 |
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詳細情報 | 古来から治水雨乞いの神として信仰を集め、祈雨祈願所として知られた。淀城主稲葉丹後守正益が寛延2年(1749年)に奉納した灯籠二基が現存し、また境内には樹齢600年以上のくす、いちょう、むくの木など天然記念物に指定された古樹がある。祭神は素盞鳴尊で、創建の年月は明ら |
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施設名 | 定願寺 地図 |
所在地 | 生野区巽南1-10 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 巽神社 地図 |
所在地 | 生野区巽南3-17 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 円徳寺 地図 |
所在地 | 生野区巽中4-8 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 浪速神社 地図 |
所在地 | 浪速区浪速西3-10 |
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詳細情報 | 坐摩(ざま)神社の末社として、坐摩大神(いかすりのおおかみ)を祭神としているほか、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)、白髭大神(しらひげおおかみ)も祀っています。 |
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施設名 | 茨住吉神社 地図 |
所在地 | 西区九条1-1 |
TEL | |
詳細情報 | 茨住吉神社は住吉大社の分霊を祀り、海の神として敬われた。茨の字はこの付近一面に茨が繁茂していためつけられたといわれる。また一説には神戸住吉神社からの分祀ともいわれている。 |
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施設名 | 土佐稲荷神社 地図 |
所在地 | 西区北堀江4-9 |
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詳細情報 | 土佐稲荷神社は、土佐高知藩蔵屋敷の鎮守社として屋敷内にあった。伏見稲荷の分霊を祀り町人の参拝も許され、「土佐稲荷の夜桜」は古くから有名である。廃藩置県で岩崎家の民有地となり三菱の諸事業の中心をなした。付近に岩崎家別邸跡がある。 |
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施設名 | 願泉寺 地図 |
所在地 | 浪速区大国2-2 |
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詳細情報 | 小野妹子の八男、多嘉麿義持(法名:聖伝院永証)が創建し、はじめは無量寺院と称していました。建てられたのは四天王寺建立のすぐあとという古刹です。京都の作庭家相阿弥(そうあみ)の作と伝えられる枯山水の庭園は、大阪府名勝に指定されていて市内にあるとは思われない |
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施設名 | 唯専寺 地図 |
所在地 | 浪速区敷津西2-13 |
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詳細情報 | 用明天皇の時代に天種子命(あめのたねこのみこと)の裔である迹見赤摂(とみいちひ)が、木津浦に草庵を構えたのが起こりと伝えられ、その後三十三世光重が蓮如上人の弟子となり明応7年(1498年)坊舎を建立、天正7年(1579年)唯専寺の号と安阿弥作の木像を授与されました |
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施設名 | 敷津松之宮・大国主神社 地図 |
所在地 | 浪速区敷津西1-2 |
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詳細情報 | 社伝によれば、神功皇后が三韓を平定されて住吉大社に凱旋報告のため、敷津浦を航海されたとき、敷津浜に荒い波がうちよせられるのを見られ、『これから汐が満ちてはいけません』と松の木を渚に三本植え、素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りになり航海の安全を祈られたこ |
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施設名 | 今宮戎神社 地図 |
所在地 | 浪速区恵美須西1-6 |
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詳細情報 | 商売繁盛の神様で「十日えびす(えべっさん)」(毎年1月9日〜11日)は「商売繁盛笹持ってこい」の掛け声もにぎやかに福笹をもとめる参拝者が100万人を超え、新春早々のまつりとしてにぎわいます。 |
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施設名 | 廣田神社 地図 |
所在地 | 浪速区日本橋西2-4 |
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詳細情報 | もと天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)ですが創建年代は不詳です。古い由緒を持つとともに江戸時代には廣田の杜といわれ、うっそうとした森のなかに社がありました。当時は境内も広く、紅白二種の萩を植えた茶店があって、萩の茶屋と呼ばれていたといわれてい |
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施設名 | 合邦辻閻魔堂 地図 |
所在地 | 浪速区下寺3-16 |
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詳細情報 | 古伝によれば合邦辻は合法辻とも言われ、「えんま堂」は聖徳太子の開基と伝えられています。当時の大伽藍は消失して辻堂となり、明治の中頃に今の融通念仏宗西方寺の境内に移されました。 |
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施設名 | 一心寺 地図 |
所在地 | 天王寺区逢阪2丁目 |
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詳細情報 | 山号を松坂山という浄土宗の寺院である。開基は法然(ほうねん)上人であるといい法然が「日想観」を修するために営んだ庵室の跡であると伝えられる。 |
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施設名 | 十三まいりの寺 地図 |
所在地 | 天王寺区夕陽丘町 太平寺内 |
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詳細情報 | 太平寺は寛文(かんぶん)3年(1613)加賀国大乗寺第21世超山ぎん越和尚が開山の曹洞宗の禅寺で山号は護国山という。 |
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施設名 | 勝鬘院(多宝塔・本堂) 地図 |
所在地 | 天王寺区夕陽丘町 |
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詳細情報 | 四天王寺の4ケ院(敬田院(けいでんいん)、療病院(りょうびょういん)、施薬院(せやくいん)、悲田院(ひでんいん)の1つ施薬院の跡である。聖徳太子が三教義疏(ぎしょ)の1つである勝鬘経(しょうまんきょう)を購読したところであると伝えられる。 |
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施設名 | 庚申堂 地図 |
所在地 | 天王寺区堀越町 |
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詳細情報 | 42代文武(もんむ)天皇のとき疫病が大流行した。この時四天王寺の僧豪範が庵を結び一心に仏の加護を祈ったところ、大宝元年(701)正月7日庚申の日に青面金剛童子の像を授かり、これを安置してお祀りしたところ疫病が治まったといわれ、以後60日ごとの庚申の日は参詣の人でに |
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施設名 | 舎利尊勝寺 地図 |
所在地 | 生野区舎利寺1-2 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 四天王寺旧境内 地図 |
所在地 | 天王寺区四天王寺1丁目 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 御幸森天神宮 地図 |
所在地 | 生野区桃谷3-10 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 彌栄神社 地図 |
所在地 | 生野区桃谷2-16 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 難波八阪神社 地図 |
所在地 | 浪速区元町2-9 |
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詳細情報 | 古来難波下の宮と称し、難波一帯の産土神(うぶすなのかみ)でした。もとは神仏混交でしたが、維新後、神仏分離により寺は廃絶し、明治5年(1872年)に郷社となりました。当社の祭神、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治され、民の困苦を除か・ |
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施設名 | 瑞龍寺 地図 |
所在地 | 浪速区元町1-10 |
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詳細情報 | 黄檗宗萬福寺末寺で薬師三尊を本尊としています。鉄眼和尚は、わが国に一切経の版木がないのを嘆き、全国行脚募財の末、一切経の木版6956巻32万頁を完成しました。その間洪水と飢饉に苦しむ人々を救うため、一切経の募財を救済に投じ、三度目に目的を遂げ「鉄眼は一生に三度 |
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施設名 | 赤手拭稲荷神社 地図 |
所在地 | 浪速区稲荷2-6 |
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詳細情報 | 祭神は、豊受皇大神(とようけのおおかみ)ほか三神で、紅染の手拭を祠前に供えたことから「赤手拭稲荷」といわれるようになりました。昭和20年(1945年)3月の空襲でご神体を残し焼失、現在の本殿は昭和23年(1948年)に再建されました。 |
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施設名 | 大乗坊と毘沙門天王立像 地図 |
所在地 | 浪速区日本橋3-6 |
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詳細情報 | もとは、四天王寺東北方牛崎(筆ヶ崎)にあり天文・天正年間に織田信長の焼き討ちで現地に逃れ再興された大乗坊は、宝暦年間には信者の寄進による広大な寺域を持ち、以来「長町の毘沙門さん」として信仰されてきました。御前立の立像は肩に鬼の面が彫り込まれており鎌倉中期 |
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施設名 | 生國魂神社 地図 |
所在地 | 天王寺区生玉寺町 |
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詳細情報 | 社伝によれば、神武天皇が九州から難波津に到着の折、石山崎(現大阪城付近)に生島神(いくしまのかみ)、足島神(たるしまのかみ)を祀ったのがはじまりという。 |
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施設名 | 和光寺 地図 |
所在地 | 西区北堀江3-7 |
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詳細情報 | 和光寺は元禄11年(1968)堀江新地開発のとき、智善上人が建立した。境内の池から善光寺(長野)本尊ともいわれる阿弥陀如来が出現したことから、通称阿弥陀池ともいわれ、江戸時代から多くの人々に親しまれている。 |
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施設名 | 比賣許曽神社 地図 |
所在地 | 東成区東小橋3-8-14 |
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詳細情報 | 下照比賣命(したてるひめのみこと)ほか四柱を奉斉する延喜式内名神大社(えんぎしきだいみょうじんたいしゃ)で垂仁天皇2年愛久目山(あくめやま)に下照比賣命を祀ったのを起源とするたいへん古い社で、推古天皇15年(607)正遷宮(しょうせんぐう)の際に天皇の行幸(み |
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施設名 | 念仏寺(橋本宗吉墓所) 地図 |
所在地 | 天王寺区上本町四丁目 |
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詳細情報 | 天正8年(1580)僧、大誉の創建である。 念仏寺に墓のある橋本宗吉は宝暦13年(1763)北堀江に生まれ、大槻玄澤の門に入り蘭学をおさめ、享保年間中央区南船場において蘭学塾「絲漢堂(しかんどう)」をひらいた。またわが国の電気学の第1歩を開拓 |
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施設名 | 観音寺 地図 |
所在地 | 天王寺区城南寺町 |
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詳細情報 | 円珠庵から南へ約50m下ったところに、観音寺がある。 当寺はもともとは円珠庵の道をへだてて南側現在の高津中学の位置にあった。しかし昭和20年3月、戦災により罹災し、すべてを焼失した。その後27年には区画整理によって移転を余儀なくされ現在地に移った |
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施設名 | 楞厳寺(織田作之助墓所) 地図 |
所在地 | 天王寺区城南寺町 |
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詳細情報 | 慶長2年(1597)僧、禅牛の開創である。楞厳寺には織田作の名で親まれ浪速の体臭をもつ小説を発表した織田作之助(1913−1947)の墓所がある。 |
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施設名 | 成道寺(主夜天尊) 地図 |
所在地 | 天王寺区餌差町 |
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詳細情報 | 成道寺を創建した僧袋中(たいちゅう)は徳の高い人でこの地に仮庵を結び説法をしたところ、多くの信者が集まり徳を慕って財を持ち寄り成道寺ができたといわれる。袋中はある時頼まれて沖縄に伝導に出かけたが、その帰路海賊に襲われた。袋中は平然と合掌瞑目し念仏を唱えると |
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施設名 | 善福寺(どんどろ大師) 地図 |
所在地 | 天王寺区空堀町 |
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詳細情報 | 宝亀9年(778)開成皇子が開基したと伝えられる。 善福寺の地にはもと真言宗鏡如寺があった。その本尊弘法大師が俗にどんどろ大師と呼ばれ、どんどろは土井殿の訛(なまり)で昔土井氏の邸宅があったことによるとされている。戦災前毎月21日は大師参詣 |
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施設名 | 心眼寺(まん直し地蔵) 地図 |
所在地 | 天王寺区餌差町 |
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詳細情報 | 元和8年(1622)僧、白牟が創建した寺で、真田幸村父子の冥福を願って建立されたお寺である。門扉に真田家の家紋の六文銭が張りつけてあるのはそのためである。心眼寺には「まん直し地蔵」があり、まんの悪い時に祈願すると効験があると言われている。 |
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施設名 | 大応寺(木村兼葭堂墓所) 地図 |
所在地 | 天王寺区餌差町 |
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詳細情報 | 寛永元年(1624)僧、証誉の創建。大応寺には木村兼葭堂の墓がある。物識りの代名詞とまで言われた木村兼葭堂は北堀江の人で、酒造を業とし、坪井屋吉右衛門と名乗った。後藤隠岐守基次(又兵衛)の7世の孫であるという。学問を好み11歳の時片山北海の門に入って漢学を学び、長・ |
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施設名 | 浄照坊 地図 |
所在地 | 天王寺区真田山町 |
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詳細情報 | 大阪の町は大阪(石山)本願寺のもとに営まれた寺内町がもととなって発展したといわれるように、大阪と本願寺教団の関連は深い。浄照坊は、蓮如の弟子である法円が開いたという由緒をもつ真宗寺院であり、本願寺教団と大阪の関係を考えるうえで重要な多数の史料を伝えている。 |
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施設名 | 三光神社 地図 |
所在地 | 天王寺区玉造本町 |
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詳細情報 | 三光神社は、古くは月日山神社、後に社地を姫山と呼んだことから姫山神社、明治以後宰相山神社また姫山神社に戻り明治41年境内の全国唯一の中風除けの神、三光宮を合祀してより三光神社と呼ばれるようになった。毎年6月1日から7日まで中風祈願大祭が行われ、全国各地から多・ |
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施設名 | 産土神社 地図 |
所在地 | 此花区島屋3-13 |
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詳細情報 | 宝暦12年(1762年)大坂の島屋(浅田市兵衛)が正蓮寺川左岸の一角(現住友電工内)に新田の鎮守神として創建した。昭和9年の風水害により被災し、昭和13年に現在の地に移転された。境内に旧恩貴島町島屋町大風水害復興記念碑がある。 |
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施設名 | 朝日神明社 地図 |
所在地 | 此花区春日出中1-6 |
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詳細情報 | 川岸町(南新田)の鎮守神の皇太神社(天保年間創建)と、大阪三神明社の一つで、もと中央区(旧東区)にあった朝日神明宮を合祀し、明治40年朝日神明社と社号を改め、 昭和6年現地に移転した。平成6年、春日大社本宮旧社を頂き「春日社」が再建された。 |
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施設名 | 住吉神社 地図 |
所在地 | 此花区梅香3-14 |
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詳細情報 | 元和年間(1620年頃)漁業と土地の開墾に従事していた住民が、正蓮寺川沿岸(四貫島一丁目付近)に海上の守護神として住吉大神を祀った。その後、今の梅香一丁目に移った後大正10年市電開設により現在地に移転した。 |
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施設名 | 正蓮寺 地図 |
所在地 | 此花区伝法6-4 |
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詳細情報 | 寛永2年(1625年)、正蓮日宝が小庵を建立したのがはじまりという。古くは七堂伽藍が備わり、大阪25か寺に数えられていたが、火災や地震のため滅失、現本堂は明治7年のものである。毎年8月26日に行われる川施餓鬼は、享保6年(1721年)から始まっており、日本三大施餓鬼の一つと |
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施設名 | 西念寺 地図 |
所在地 | 此花区伝法5-7 |
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詳細情報 | 大化元年(645年)天竺南山道宥律師の教伝により、法道仙人が仏法伝導道場を建立されたのがはじまりという。中世には摂津伝法の船寺として信仰を集め、広大な寺領を持ち、摂・河・泉・三国の四大本山の一つとして栄えたという。明治6年には小学校(現伝法小学校)が当寺に設置さ |
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施設名 | 澪標住吉神社 地図 |
所在地 | 此花区伝法3-1 |
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詳細情報 | 延暦23年(804年)遣唐使の航路安全を祈願して祭壇を造り、一行の帰路を迎えるため澪標を立てたのがはじまりという。当地が伝法口として賑わうとともに、土地の守護神・海上交通安全の神として社殿境内も整えられた。昔は水路のしるしとして至る所に立ててあった澪標は、大阪・ |
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施設名 | 鴉宮 地図 |
所在地 | 此花区伝法2-10 |
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詳細情報 | 建保3年(1215年)海運に従事していた人たちが、港の繁栄を願い土地の鎮守神として伝母頭(もりす)神社を創建したのがはじまりという。秀吉が出兵の際に3本足の鴉が先導、海路平安であったところから鴉宮と改められたと伝えられる。 |
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施設名 | 西九条神社 地図 |
所在地 | 此花区西九条1-4 |
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詳細情報 | 貞享年間(1680年)西野新田に入植した人々が、五穀豊作を祈り稲荷大社と海上安全の守護神として住吉大神を祀ったのがはじまりという。明治40年茨住吉神社の行宮所となり、昭和21年に社名を西九条神社と改められた。戦前は茨住吉神社の渡御があったがいまは休止されている。 |
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施設名 | 恵美須神社 地図 |
所在地 | 福島区玉川4-1-1 |
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詳細情報 | 「野田のえべっさん」で親しまれている恵美須神社が、いつごろ創建されたのかは不明であるが、境内には表面に「ゑみすのみや」側面に「永久3年(1115年)3月」と刻まれた御影石がある。石そのものは後世に建てられたものであるが、創建の時期はそのころと推測される。古来から |
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施設名 | 福島天満宮 地図 |
所在地 | 福島区福島2-8-1 |
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詳細情報 | JR福島駅からなにわ筋を南へ、国道2号線を越えて次の辻の西角にあり、祭神は菅原道真・大国主命・事代主命などを祀る。 |
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施設名 | 八坂神社 地図 |
所在地 | 福島区海老江6-4-2 |
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詳細情報 | 神社の創建の時期は詳しくはわからないが、境内に天治(1124年頃)大治(1126年頃)の年号が記された石灯籠があり、また、村の旧記に永徳3年(1383年)霜月社殿再建と書かれていることからして相当古い神社である。 |
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施設名 | 浦江聖天 地図 |
所在地 | 福島区鷲洲2-14-1 |
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詳細情報 | 如意山、了徳院は「浦江の聖天さん」の通称で親しまれている。江戸時代初め頃、浦江は一面の湿地帯でかきつばたの名所であった。境内に芭蕉の「杜若 語るも旅の ひとつ哉」の句碑がある。 |
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施設名 | 素盞烏尊(すさのおのみこと)神社 地図 |
所在地 | 北区大淀南3-3-25 |
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詳細情報 | 元は牛頭(ごづ)天王社や祇園社と呼ばれていました。 |
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施設名 | 八阪神社《大仁》 地図 |
所在地 | 北区大淀中3-1-23 |
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詳細情報 | 昭和38年の町名改正以前は、このあたりを大仁(だいに)・浦江と呼んでいましたがその大仁の地名は、日本に初めて儒学を伝えたという王仁(わに)博士の名から転化したという説があります。八阪神社の社殿復興記念碑には、「王仁公の所縁の地」と記されています。 |
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施設名 | 八阪神社 地図 |
所在地 | 東成区中道4-8-20 |
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詳細情報 | 素盞鳴尊(すさのおのみこと)ほか一柱を奉斉する旧中道村の氏神で、藤原道長がこの地に別業(別邸)を設け祀っていたのを、仁安元年(1166)里人(さとびと)が社殿を再興し、天正12年(1584)現在地に移転したと伝え、もと牛頭天王白山権現(ごずてんのうはくさんごんげん |
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施設名 | 八王子神社 地図 |
所在地 | 東成区中本4-2-48 |
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詳細情報 | 王子大神ほか四柱を奉斉する旧本庄村の氏神で、応神天皇3年の創建と伝え、孝徳天皇より高麗狗(こまいぬ)一対の献納があったと伝えられ、八王子稲荷社として、また“椿の宮”として知られました。 明治5年(1872)百済神社と改称、明治42年(1909)旧西今里村の氏神八剣神 |
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施設名 | 白山神社 地図 |
所在地 | 城東区中浜2-3-15 |
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詳細情報 | 菊理媛神(くくりひめのかみ)を祭神としています。 |
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施設名 | 老松神社跡 地図 |
所在地 | 北区西天満4-8 |
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詳細情報 | 神功皇后が風波を避けて無事上陸したという巨松がおこりです。現在は天満宮に合祀。 |
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施設名 | 大阪天満宮 地図 |
所在地 | 北区天神橋2-1-8 |
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詳細情報 | 菅原道真を主神に猿田彦命ほかを祭る。正門は弘化2年(1845年)に建てられたもので、境内には見るべきものが多く、天満の天神さんと親しまれています。天神祭は日本三大祭の一つで、中でも船渡御は圧巻です。 |
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施設名 | 露天神社 地図 |
所在地 | 北区曽根崎2-5-4 |
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詳細情報 | 名前の由来は、祭神の菅原道真が太宰府に左遷される時にここを通過し偲び泣きしたため、または梅雨のころ社前の井戸から水が湧き出たためといわれています。元禄十六年(1703年)に実際にこの神社であった心中事件を元に、近松門左衛門が創作した浄瑠璃「曾根崎心中」が一躍有 |
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施設名 | 堀川戎神社 地図 |
所在地 | 北区西天満5-4-17 |
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詳細情報 | 「堀川のえべっさん」として、南の今宮戎と共に親しまれている神社。6世紀の中ごろ止美連(とみのむらじ)吉雄が、蛭子神のお告げによって浪華堀江の芦辺で玉を拾い、これを神霊の代わりとして難波富島に祀ったのが始まりとされています。 |
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施設名 | 綱敷天神社 地図 |
所在地 | 北区神山町9-11 |
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詳細情報 | 菅原道真が船綱を円座にして敷き梅を鑑賞したという、通称北野天神です。 |
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施設名 | 歯神社 地図 |
所在地 | 北区角田町2-7 |
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詳細情報 | 淀川の氾濫を歯止めしたのが名の由来。歯痛治癒の神様として親しまれています。 |
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施設名 | 圓頓寺 地図 |
所在地 | 北区太融寺町6-12 |
TEL | |
詳細情報 | ここは落語「鷺とり」の舞台。ぐっすり寝込んだ鷺を捕まえて帯にはさんでいると夜が明けて鷺が飛び立ち、主人公が天王寺の五重塔の上に置き去りにされるという荒唐無稽なお話しです。 |
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施設名 | 太融寺 地図 |
所在地 | 北区太融寺町3-7 |
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詳細情報 | 光源氏のモデルともいわれている源融(みなもとのとおる)の名をとって寺名にしたとか。かつての寺域は「北野の太融寺か、太融寺の北野か」といわれるほど広大でした。境内には淀君の墓や芭蕉の句碑など数々の史跡があります。 |
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施設名 | 天満別院 地図 |
所在地 | 北区東天満1-8-26 |
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詳細情報 | 東本願寺派の別院で、もともと本願寺の総本山です。 |
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施設名 | 松乃木神社 地図 |
所在地 | 北区松ヶ枝町2-41 |
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詳細情報 | 火除けの霊松と呼ばれた古松を祀っています。 |
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施設名 | 宝珠院 地図 |
所在地 | 北区与力町1-2 |
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詳細情報 | 弘法大師が草庵を建立したのがはじまり。 |
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施設名 | 田島神社 地図 |
所在地 | 生野区田島3-5 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 難波寺 地図 |
所在地 | 生野区巽北1-7 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 清見原神社 地図 |
所在地 | 生野区小路2-24 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 偏増寺 地図 |
所在地 | 生野区小路1-7 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 熊野大神宮 地図 |
所在地 | 東成区大今里4-16-48 |
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詳細情報 | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)ほか二柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。 |
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施設名 | 妙法寺と契沖遺跡 地図 |
所在地 | 東成区大今里4-16-50 |
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詳細情報 | 聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679)から元禄3年(1690)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。 |
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施設名 | 深江稲荷神社 地図 |
所在地 | 東成区深江南3-16-17 |
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詳細情報 | 宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか二柱を奉斉する旧深江村の氏神で、和銅年間(8世紀前期)の創建といわれ、慶長8年(1603)豊臣秀頼が社殿を改造したとも伝えられます。 |
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施設名 | 法明寺と雁塚 地図 |
所在地 | 東成区深江南3-16-28 |
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詳細情報 | 文保2年(1318)融通大念仏宗(ゆうづうだいねんぶつしゅう)の中興の祖、法明上人(ほうみょうしょうにん)の開基で、境内に「雁塚(がんづか)」と呼ばれる二基の石塔があるので有名です。 |
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施設名 | 東本稲荷神社 地図 |
所在地 | 城東区中浜3-18-11 |
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詳細情報 | 宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおみかみ)を祭神とし、衣食住の神様、商売繁盛の神様として知られています。天正4年(1576年)の兵乱で神殿を焼失しましたが、慶長8年(1603年)豊臣秀頼により再建されました。しかし、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で再び焼失し、その |
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施設名 | 八坂神社 地図 |
所在地 | 城東区天王田10-19 |
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詳細情報 | 京都の八坂神社の分社で素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りしています。 |
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施設名 | させん堂不動寺 地図 |
所在地 | 城東区諏訪2-13-15 |
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詳細情報 | 真言宗山階派の寺院。本尊は不動明王。豊臣秀吉が大阪城を築城した時、現在の生玉神社のあたりにあった不動堂は取り壊され慶長7年(1602年)東成郡木戸村に再建されましたが、その後たびたび水害に見舞われたので、宝暦9年(1759年)に現在の場所に移されました。大阪四不動 |
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施設名 | 諏訪神社 地図 |
所在地 | 城東区諏訪2-13-16 |
TEL | |
詳細情報 | 長野県にある諏訪大社の全国に5千ある分社にひとつ。創建の年代は不明ですが、境内に現存する古い石灯籠に『承和3年(836)4月寄進』と刻まれているところから、今から1200年ほど前の平安時代に創建されたと考えられます。祭神は、建御名方刀美命(たけみなかとみのみこと)・ |
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施設名 | 阿遅速雄神社 地図 |
所在地 | 鶴見区放出東3-31-18 |
TEL | 06-6962-0378 |
詳細情報 | |
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施設名 | 妙隆寺 地図 |
所在地 | 鶴見区今津南1-1-30 |
TEL | 06-6961-3280 |
詳細情報 | |
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施設名 | 願教寺 地図 |
所在地 | 鶴見区今津南4-4-32 |
TEL | 06-6961-2747 |
詳細情報 | |
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施設名 | 大日寺と宝篋印搭 地図 |
所在地 | 城東区鴫野東3-31-17 |
TEL | |
詳細情報 | |
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施設名 | 八劔神社 地図 |
所在地 | 城東区鴫野東3-31-8 |
TEL | |
詳細情報 | 応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、速素盞鳴尊(はやすさのおのみこと)・水波能売神(みずはのめのかみ)を祭神としています。 |
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施設名 | 小女郎稲荷 地図 |
所在地 | 城東区今福南2-12-31 |
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詳細情報 | 皇大神宮の境内に小女郎稲荷という小さな社が祀られています。 |
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施設名 | 皇大神宮 地図 |
所在地 | 城東区今福南2-12-31 |
TEL | |
詳細情報 | 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として、伝承によると伊勢神宮に納める神税の御蔵跡地であることから、神宮様と称して広く崇敬され栄えてきた由緒ある神社です。 |
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施設名 | 道音寺 地図 |
所在地 | 鶴見区放出東1-25-19 |
TEL | 06-6961-1201 |
詳細情報 | |
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施設名 | 正因寺 地図 |
所在地 | 鶴見区放出東1-23-11 |
TEL | 06-6961-6092 |
詳細情報 | |
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施設名 | 若宮八幡大神宮 地図 |
所在地 | 城東区蒲生4-3-16 |
TEL | |
詳細情報 | |
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施設名 | 鶴見神社 地図 |
所在地 | 鶴見区鶴見3-13-76 |
TEL | 06-6912-1567 |
詳細情報 | |
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施設名 | 願正寺 地図 |
所在地 | 鶴見区鶴見3-11-30 |
TEL | 06-6912-6846 |
詳細情報 | |
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施設名 | 比枝神社 地図 |
所在地 | 鶴見区今津中5-5-23 |
TEL | 06-6961-6682 |
詳細情報 | |
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施設名 | 圓通寺 地図 |
所在地 | 鶴見区今津中5-2-11 |
TEL | 06-6961-7700 |
詳細情報 | |
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施設名 | 源正寺 地図 |
所在地 | 鶴見区今津南4-9-23 |
TEL | 06-6961-8065 |
詳細情報 | |
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施設名 | 八幡宮 地図 |
所在地 | 鶴見区横堤2-8-25 |
TEL | 06-6911-1016 |
詳細情報 | |
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施設名 | 圓立寺 地図 |
所在地 | 鶴見区横堤2-6-11 |
TEL | 06-6911-3492 |
詳細情報 | |
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施設名 | 八幡神社 地図 |
所在地 | 鶴見区諸口2-4-41 |
TEL | 06-6911-3602 |
詳細情報 | |
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施設名 | 明覚寺 地図 |
所在地 | 鶴見区諸口2-7-16 |
TEL | 06-6911-3057 |
詳細情報 | |
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施設名 | 真宗寺 地図 |
所在地 | 鶴見区諸口1-14-31 |
TEL | 06-6911-2034 |
詳細情報 | |
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施設名 | 圓満寺 地図 |
所在地 | 鶴見区諸口2-10-26 |
TEL | 06-6912-9012 |
詳細情報 | |
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施設名 | 香具波志神社 地図 |
所在地 | 淀川区加島4-4 |
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詳細情報 | 天徳3年(959年)創建の古い歴史を持つ神社です。 |
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施設名 | 富光寺 地図 |
所在地 | 淀川区加島4-10 |
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詳細情報 | 大化年間(645〜650年)に、インドから来日し数々の奇跡を見せた法道上人が、当地区付近から霊光が出るとして阿弥陀仏を自ら彫り、堂を建て安置したのが当寺の起こりだとの伝承があります。 |
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施設名 | 神津神社 地図 |
所在地 | 淀川区十三東2-6 |
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詳細情報 | 天正年間(1573〜1592年)創建された神社で、初めは、八幡菩薩を祭り、武士の信仰を集めていました。明治42年、近辺のいくつもの神社を合わせ、神津神社となりました。 |
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施設名 | 光専寺 地図 |
所在地 | 淀川区三津屋中1-6 |
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詳細情報 | 楠木正行が築いた三津屋城の跡を、子孫の末廣治朗左衛門が出家して僧正顕となり、文明5年(1473年)に開いたと伝えられるお寺です。 |
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施設名 | 源光寺 地図 |
所在地 | 北区豊崎2-3-23 |
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詳細情報 | 行基が天平19年(747年)に開山し、承元3年(1209年)に法然上人が復興しました。 |
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施設名 | 富島神社 地図 |
所在地 | 北区中津2-5-10 |
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詳細情報 | 速素盞嗚命(はやすさのおのみこと)を祀っています。元は祇園牛頭天王社(ごづてんのうしゃ)、後に利島神社と呼ばれ、明治後期に春日神社、天満宮社、鷺島神社、八阪神社を合祀し、その後、社名を富島神社に改めました。 |
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施設名 | 豊崎神社 地図 |
所在地 | 北区豊崎6-6-4 |
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詳細情報 | 都を飛鳥から難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)に移した孝徳天皇を祀る神社。大化の改新の詔は長柄豊碕宮で宣言されたといわれています。 |
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施設名 | 教恩寺 地図 |
所在地 | 北区本庄西3-13-5 |
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詳細情報 | 別名「さつき寺」。淀川が改修されるまでは広大な境内を持っており、樹齢300年ほどにもなる見事なさつきが明治時代までありました。花の頃は早朝から日暮まで人々が集まったといわれています。 |
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施設名 | 光明寺 地図 |
所在地 | 北区長柄西2-12-5 |
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詳細情報 | 凶作の折、年貢を取り立てる領主を死をもっていさめた義人・松野登十郎の墓があります。 |
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施設名 | 鶴満寺 地図 |
所在地 | 北区長柄東1-3-12 |
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詳細情報 | 上方落語「鶴満寺」は題名そのままの鶴満寺が舞台になっています。奈良時代に創建されたといわれる由緒あるお寺で、境内は落語にあるように桜の名所とされていました。 |
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施設名 | 国分寺 地図 |
所在地 | 北区国分寺1-6-18 |
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詳細情報 | 聖武天皇の命により「長柄寺」から国分寺となりました。 |
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施設名 | 都島神社 地図 |
所在地 | 都島区都島本通1-5 |
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詳細情報 | 旧沢上江村(滓上江村とも書く)の鎮守社で、草創は明らかではありませんが、平安後期、後白河法皇が生母待賢門院の菩提寺である母恩寺に行幸したときに、鎮護の神社として創建されたと伝えられています。 天照大神・応神天皇・宇賀御魂神など十五の神を合祀したのでもとは |
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施設名 | 母恩寺 地図 |
所在地 | 都島区都島本通1-20 |
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詳細情報 | 旧沢上江村(滓上江村とも書く)の地にある浄土宗の尼寺で、寺伝によれば仁安3年(1168)に後白河法皇が生母待賢門院の菩提を弔うために創建し、母后報恩の意を籠めて寺号としたといわれています。もとは数箇所の荘園と大伽藍を有する大きな寺院でしたが、度重なる洪水や兵・ |
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施設名 | 野江水神社 地図 |
所在地 | 城東区野江4-1-39 |
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詳細情報 | 水波女大神(みずはめのおおかみ)を祭神とし、一般には水神社・水神さま・水神宮・野江神社などと呼ばれています。伝えられるところによれば、天文2年(1533年)三好政長が近くに榎並城を築く際、たびたび水害を被ったので、水火除難の守護神として城内に小さい祠を造営し・ |
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施設名 | 淀川神社 地図 |
所在地 | 都島区毛馬町1-2 |
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詳細情報 | 明治42年(1909)政府の神社合祀令により、城北村大字毛馬(現毛馬町、大東町)の氏神である八幡神社が大阪市北区中野町(現中野町)の桜宮に、また城北村大字友渕(現友渕町、毛馬町の一部)の氏神である十五神社が古市村大字南島(現旭区)の大宮神社に合祀されました。 |
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施設名 | 正通院 地図 |
所在地 | 淀川区木川東1-7 |
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詳細情報 | 天満の惣年寄を努めた金谷歳次郎が、延亨3年(1746)に創建しました。 |
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施設名 | さいの木神社 地図 |
所在地 | 淀川区西中島7-7 |
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詳細情報 | 延宝6年(1678年)4月、奉行所の役人たちが召し捕りにくる直前に、当地で自害した、中島水道開削工事の責任者、澤田久左衛門・一柳太郎兵衛・西尾六右衛門の三庄屋の冥福を祈って建てられた社です。 |
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施設名 | 光用寺 地図 |
所在地 | 淀川区西中島7-8 |
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詳細情報 | 天平19年(747年)僧行基が創建したと伝えられる大変古いお寺です。 |
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施設名 | 萬福寺 地図 |
所在地 | 東淀川区柴島2-13-35 |
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施設名 | 日吉神社 地図 |
所在地 | 旭区赤川4丁目 |
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施設名 | 常光寺 地図 |
所在地 | 淀川区東三国1-32 |
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詳細情報 | 源頼朝の家臣、佐々木盛綱が、主人の没後出家して僧西念となり、建仁年間(1201〜1204年)当地に行脚し、小庵を結んだのが起こりです。 |
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施設名 | 大願寺 地図 |
所在地 | 淀川区東三国1-4 |
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詳細情報 | 615年頃、長柄の架橋工事を成功させようと人柱になった巌氏を弔うため、推古天皇の勅命で創建された「橋本寺」を継ぐお寺だと伝えます。 |
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施設名 | 菅原天満宮 地図 |
所在地 | 東淀川区菅原2-3-27 |
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施設名 | 定専坊 地図 |
所在地 | 東淀川区豊里6-14-25 |
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施設名 | 明教寺 地図 |
所在地 | 東淀川区下新庄5-19-12 |
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施設名 | 瑞光寺・雪鯨橋 地図 |
所在地 | 東淀川区瑞光2-2-2 |
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詳細情報 | |
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施設名 | 金剛寺 地図 |
所在地 | 鶴見区緑3-4-22 |
TEL | 06-6911-2101 |
詳細情報 | |
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施設名 | 圓通寺 地図 |
所在地 | 鶴見区安田3-11-39 |
TEL | 06-6911-5589 |
詳細情報 | |
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施設名 | 安田神社 地図 |
所在地 | 鶴見区安田4-9-30 |
TEL | 連絡先は八幡神社 06-6911-3602 |
詳細情報 | |
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施設名 | 慈恩寺 地図 |
所在地 | 鶴見区浜3-18-16 |
TEL | 06-6911-4771 |
詳細情報 | |
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施設名 | 宗圓寺 地図 |
所在地 | 鶴見区浜4-4-26 |
TEL | 06-6911-0234 |
詳細情報 | |
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施設名 | 専立寺 地図 |
所在地 | 鶴見区茨田大宮1-16-21 |
TEL | 06-6911-7686 |
詳細情報 | |
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施設名 | 浄念寺 地図 |
所在地 | 鶴見区茨田大宮1-4-21 |
TEL | 06-6911-0732 |
詳細情報 | |
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施設名 | 古宮神社 地図 |
所在地 | 鶴見区浜4-16-20 |
TEL | 06-6911-0190 |
詳細情報 | |
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施設名 | 大神社 地図 |
所在地 | 鶴見区茨田大宮1-18-17 |
TEL | 連絡先は鶴見神社 06-6912-1567 |
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施設名 | 浄教寺 地図 |
所在地 | 鶴見区焼野2-5-20 |
TEL | 06-6911-5198 |
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施設名 | 大宮神社 地図 |
所在地 | 旭区大宮3丁目 |
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施設名 | 八幡大神宮 地図 |
所在地 | 旭区清水3丁目 |
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施設名 | 大宮 地図 |
所在地 | 東淀川区大道南3-2-2 |
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施設名 | 大澤寺 地図 |
所在地 | 東淀川区大桐1-17-43 |
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施設名 | 光照寺 地図 |
所在地 | 東淀川区南江口3-11-4 |
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施設名 | 江口の君堂・寂光寺 地図 |
所在地 | 東淀川区南江口3-13-23 |
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